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ピアス

買取専門店大吉大分駅

大吉大分駅

ピアスは、身体の一部に穴を貫通させ、その穴に通して付ける装身具の総称である。耳たぶなど外耳に穴を開けてとりつける耳飾りのイヤリングが代表的である。

本来は、「穴を貫通させる」という意味の動詞ピアシングで、「穴を貫通させること」、また場合によってはその穴にピアスを通すことを意味する。体への穴であることを明確に示すときは、ボディ・ピアシング(英: body piercing)という。ただし、これらは通常、「穴を開ける」という行為それ自体をさし、ピアス(耳の穴に通す装身具そのもの)を英語では「ピアス (pierce)」とはいわずに「イヤリング(英: earrings)」という。すなわち、「装身具」のことを「ピアス」と称しているのは、和製英語である。また、日本において、耳に穴を開けずに耳に装着する装身具のことを「イヤリング」と称しているが、それも和製英語である。「穴を開けずに耳に装着する装身具」を英語では「clip-on」と言う。

有史以来、古くはタトゥーと同様、邪悪なものから身を守る魔除けを目的として用いられていたが、時代を経るに従いファッションの意味合いが強くなっている。

耳へのピアスは、インド、エジプトなどの古代文明に、人類が装飾品で身体を飾る際に耳への装飾も行ったことに始まる。当時の工技術は高度で、環状の属製の耳飾りが一般的であった。この耳飾りは耳に開けた穴に取り付けられ、ピアスの原型となった。紀元前3300年のミイラであるアイスマンの耳にもピアスの跡がある。

中国や日本列島においてはそれより早い興隆窪文化や縄文時代早期末から中期(紀元前5500年から紀元前3000年頃まで)におけるピアスが発掘されている(魔除け的に装着されていたと考えられている)。主として石製・骨製であり、円の一部を欠いた形で「玦状(けつじょう)耳飾り」と呼ばれる。縄文時代中期頃より「耳栓」(じせん)と呼ばれる粘土製のピアスも作られるようになった。ピアスをつけているとされる土偶も出土している。耳部分に穴の開いている土偶も存在するが、これについては耳の穴とも、ピアスホールとも言われる。縄文時代晩期終末(紀元前2500年頃)から弥生時代にはピアスはほとんど出土しない。

古墳時代中期後半以降になると、属製装身具とその製作技術の導入により耳飾りの文化が復活し、「耳環」と呼ばれる属製ピアスが出土するようになる。この時代に作られた埴輪の表現から、男女を問わずピアスをしていたことが分かっている。千葉県芝山古墳群の殿塚古墳から出土した人物埴輪の両耳には上下にそれぞれ2つの穴が開いており、少なくとも下の1つはピアスホールであったと考えられるが、この当時の耳環は、環の1か所にある隙間を耳たぶに噛ませて穴を開けずに装着するいわゆる「clip-on」タイプであろうとする意見もある。

飛鳥時代を最後に、明治時代まで日本本土ではピアスは姿を消す。大宝律令(701年)によって身分による衣服の違いが明確になったためにピアスなどの装飾品で身分を示す必要がなくなったからとも、「身体髪皮膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。」という儒教の孝経の影響だともいわれる。

アイヌ民族は江戸時代末期まで「ニンカリ」と呼ばれる真鍮製のピアスを男女問わず付けていた。

連合は2019年(令和元年)11月15日、職場での身だしなみのルールに関し働いている男女1000人が回答したアンケートを発表。ルールがあると回答したのは571人。男性のピアス不可は188人。ルールに違反した場合、処分があるのは111人。始末書提出や解雇、契約打ち切りもあった。

紀元前1500年頃のヴェーダの書にはラクシュミの鼻ピアスの記述があるなど、インド文化では古くから見られる。

アステカ文明やマヤ文明では唇や舌へのピアスが行われていたことが知られている。また、アフリカの部族社会でも見られる。

マヤ文明のヤシュチラン遺跡において、女性たちが舌に穴をあけて紐を通したという記述が残っている。

ピアスは顔だけではなく、臍、乳首や性器、指や腕などに付けることもある。このようなピアスは、20世紀末ごろからファッションとして行う者が多くなった。これら耳以外へのピアスを、一般的にボディ・ピアスと呼び、また装身具のピアスを着装するために身体に穴を開けることをボディ・ピアシングという。

鎌倉時代の元寇について記録した日蓮の遺文を集めた『高祖遺文』に「女ヲバ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付」、つまり「女は捕まえて、手に穴をあけて船に結び付け」という記録が残っており、当時において磔刑のような殺す目的ではなく、体を貫通させて穴をあける技術が存在したことが分かる。