銀(ぎん、英: silver、羅: argentum)は、原子番号47の元素。元素記号は Ag。貴金属の一種。比重は10.5。
大和言葉では「しろがね/しろかね(白銀: 白い金属)」という。元素記号の Ag は、銀を意味するラテン語 argentum に由来する。
紀元前3000年ごろには、人間の生活舞台に登場していた。
古代において銀が利用され始めたころは、銀の価値は金よりも高いことが多かった。古代エジプトや古代インドにおいては特にそうであり、古代エジプトにおいては金に銀メッキをした宝飾品も存在していた。これは、金が自然金としてそのまま産出することが多いのに対し、銀が自然銀として見つかることは非常にまれであったためである。しかし精錬の方法が向上してくるに従い、銀鉱石からの生産が増加して銀の価値は金に比べ低いものとなった。とはいえ、銀の産出もいまだ希少なものであり、金と並んで各文明圏において貴重なものとして扱われることに変わりはなかった。
貴金属であり、なおかつかなりの量を市場に供給できるだけの産出量のある銀は、ユーラシア大陸において工芸素材としてのみならず、古代より商業上の決済手段、特に高額の決済に多用されてきた。古代ギリシアにおいては、アテネが自領内のラウリオンに優良な銀山を持っており、この銀山の利益はアテネをギリシア有数の有力ポリスにのし上げるのに大きな役割を果たした。また、アテネがこの銀で鋳造した銀貨はドラクマと呼ばれ、なかでもテトラドラクマ(4ドラクマ)銀貨はローマ帝国期にいたっても中東から地中海にかけての広い地域において流通していた。このほか、ローマ帝国のデナリウス銀貨やイスラム世界のディルハム銀貨など、大規模に流通した銀貨は数多い。
銀による高額決済はユーラシア大陸の中部から西部、つまり中央アジア・西アジア・ヨーロッパでは広く普及していたが、これらの地域では少額決済手段は未発達であった。一方、東アジアでは中華王朝の発行する銅銭による少額決済を基盤とする商業が発達していたが、貴金属による高額決済は未発達であった。13世紀におけるモンゴル帝国による東西ユーラシアの政治的経済的統合は、この両世界の商業慣行を結合させることにより、国際流通経済と銀建て決済の急成長をもたらしたが、同時に当時ユーラシア大陸内に保持されていた銀の量を凌駕する経済の肥大は決済手段の不足によって一時縮小を余儀なくされた。14世紀におけるモンゴル帝国による統合の崩壊後の世界経済は、16世紀半ばに至りポトシなどの南アメリカ大陸産の銀と石見銀山などの日本産の銀が大量に供給されることで、再び活況を呈して成長を遂げていくこととなった。
金とともに、中世ヨーロッパでは新大陸発見までの慢性的な不足品であって、そのため高価でもあった。そうした中で、15世紀末以降アウクスブルクのフッガー家が南ドイツの銀山を基盤に勢力を拡大し、ヨーロッパ最大の富豪となった。1518年にはボヘミアのザンクト・ヨアヒムスタール(現在のヤーヒモフ)で採掘される銀を元にしてヨアヒムスターラーと呼ばれる大型銀貨が鋳造されたが、これは以後のヨーロッパ銀貨の基準となり、各国でこれと同様のターラー貨が鋳造されるようになった。このターラーが、現在のドルの語源となっている。
日本最古の銀製品は、北海道の羅臼町と標津町の境付近の植別遺跡から紀元前300年の墓から銀製品が発見されている。
日本においては飛鳥時代まで銀を産出せず、674年の対馬銀山の発見が始まりである。平安時代はほぼ対馬のみの産出であったが、戦国時代までには各地に銀山が開発された。石見銀山へ導入された灰吹法技術と、当時のユーラシア大陸経済が希求していた決済手段用の銀の需要が合致したことにより、日本の産銀量は16世紀半ばに激増した。
16世紀後半から17世紀前半にかけての日本は東アジア随一の金、銀、銅の採掘地域であり、生糸などの貿易対価として中国への輸出も行っていた。これらの金属は日本の貿易品として有用だったので、銀山は鎌倉幕府以前から江戸時代の鎖国終了からしばらく、明治に至っても国が直轄する場合が多かった。なかでももっとも産出量が多かったのは島根県大田市の石見銀山であり、大規模に採掘がおこなわれた。この時期の日本の産銀量は世界のおよそ3分の1を占めていたが、そのうちのかなりの部分が石見銀山から産出されていた[6]。この時期の銀山や関連施設の遺構は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に指定されている。このほかにも、兵庫県の生野銀山などでも大規模に採掘がおこなわれた。その後、日本の銀山は資源枯渇のため、世界の銀産出地から日本の名前は消えた。
新大陸発見後は、ペルーやメキシコなどで大量採掘された銀がガレオン船の大船団によってスペイン本国へと運ばれ、そこから世界中に流れることになった。なかでもこうした銀山の中でもっとも産出量が多かったのはボリビアのポトシにあるセロ・リコ銀山であり、この鉱山は16世紀後半に産出の最盛期を迎え、その後は漸減しつつも18世紀後半まで、次いで19世紀末から20世紀初頭にかけて莫大な額の銀を産出した。
同じく、メキシコのサカテカス州やグアナフアト州でも大量の銀が採掘された。こうした銀採掘は原住民であるインディオの酷使によって支えられており、インディオ人口の急減の一因ともなった。あまりに銀を求めるために、スペイン人征服者たちはペルー人に「銀を食べる人々」と呼ばれている。
16世紀を通じて金の産額には大して変化がなかったのに対し、銀は16世紀中頃よりポトシ鉱山や石見銀山を中心に著しく増大したため銀価格が暴落した[9]。例えば日本および中国においては16世紀前半まで金銀比価は1:5 - 6前後であったが、17世紀以降は日本では1:10 - 13程度まで銀安となった[10]。16世紀中頃の銀の増産の背景には、上記の新鉱脈の発見に加え、アマルガム法や灰吹法といった新しい精錬技術の導入があった。銀価値の暴落によりヨーロッパの物価は2 - 3倍のインフレーションに陥った(価格革命)。
また、この銀の量の激増はフッガー家の没落をもたらしている。こうして新大陸で採掘された大量の銀はメキシコの鋳造局でメキシコ・ドル銀貨に鋳造され、ヨーロッパやアジアで大量に流通した。中でもアジアにおいてこの銀貨は洋銀と呼ばれて20世紀初頭にいたるまで使用され続け、主要な貿易通貨の地位を確立していた。
19世紀後半、採掘技術の向上、および銅の電解精錬の副産物などにより金銀の生産量が増大、銀価格は金のそれに対して慢性的に下落するようになった。純度の高い鉱山/鉱床に縛られないグローバルな技術革新と資本移動に関する研究は、世界の金融/産業史において現代を説明するのに不可欠な業績となっている。
銀は古来より珍重されたため、各地の地名にも銀を由来とした地名が多く残されている。一例として、大航海時代にはじめて南アメリカ大陸南部にたどり着いたスペイン人は、ある大河の沿岸で銀のアクセサリーをつけたインディオを見かけたことで、その大河をラプラタ川(スペイン語で銀の川の意味)と名付けた。さらに独立したラ・プラタ副王領は、国の中央を流れるラプラタ川にちなみ、銀を意味するラテン語名「argentum」から取ってアルゼンチンと改称した。
性質[編集]
室温における電気伝導率と熱伝導率、可視光線の反射率は、いずれも金属中で最大である。光の反射率が可視領域にわたって98 %程度と高いことから美しい金属光沢を有す。
延性および展性に富み、その性質は金に次ぎ、1 gの銀は約2200 mの線に伸ばすことが可能である。
溶融銀は973 °Cにおいて1気圧の酸素と接触すると、その体積の20.28倍の酸素を吸収し、凝固の際に吸収した酸素を放出し表面がアバタとなる spitting と呼ばれる現象を起こす。純銀の鋳造は、これを防止するために酸素を遮断した状態で行う。
貴金属の中では比較的化学変化しやすく、空気中に硫黄化合物(自動車の排ガスや温泉地の硫化水素など)が含まれていると、表面に硫化物 Ag2S が生成し黒ずんでくる。銀が古くから支配階級や富裕階級に食器材料として用いられてきた理由の一つは、硫黄化合物やヒ素化合物などの毒を混入された場合に、化学変化による変色でいち早く異変を察知できる性質からという説がある。
銀イオンはバクテリアなどに対して強い殺菌力を示すため、現在では広く抗菌剤として使用されている。例えば抗菌加工と表示されている製品の一部に、銀化合物を使用した加工を施しているものがある。
塩素などのハロゲンとは直接結合しハロゲン化銀を生成する。また酸化作用のある硝酸および熱濃硫酸に溶解し銀イオンを生成する。ただし王水には溶けにくい。また空気の存在下でシアン化ナトリウムの水溶液にもシアノ錯体を形成して溶解する。
銀鉱石を構成する鉱石鉱物には、次のようなものがある。
自然銀 (Ag)
淡紅銀鉱 (Ag3AsS3)
角銀鉱 (AgCl)
銀は、その白い輝きから宝飾品としても広く利用されてきた。貴金属のなかでは比較的産出量も多く安価であるため、日本では特にシルバーアクセサリーとして若者向けの宝飾品として人気があるが、最近は一般的にも用いられるようになっている。こうしたアクセサリーに使用される場合、黒ずみにくいようにロジウムなどによってメッキが施されることが多い。
特にヨーロッパにおいては、銀食器の使用はステータスを示すものとされて珍重され、ナイフ、フォーク、皿、燭台、ポット、その他多種多様な銀食器が製造された。銀が比較的安価になりかなり多くの家庭に手が届くものとなっても銀食器の珍重は続いた。また、銀は金ほどではないが展性に優れ薄く延ばしやすいので、銀箔も多用される。このほか、絵の具として銀泥も使用される。
宝飾品などとして利用する場合、純銀では柔らか過ぎて傷つきやすいうえ、酸化しやすくすぐに黒ずむ性質があるため、他の金属との合金の形で利用される(この混ぜる金属を「割り金」と呼ぶ)。日本では一般的に銅を混ぜるが、加工性や高硬度のため他の添加金属を用いることがある。古代エジプトでは銀は金よりも価値があり、金製品に銀メッキが施された宝飾品が存在する。
プラチナを混ぜたプラチナシルバーや金・パラジウムを混ぜたシルバー、また色合いを変えたイエローシルバー、ピンクシルバー、グリーンシルバー[要出典]などもある。
Silver900 (SV900): コインシルバー。各国の銀貨の多くがこの配合であるためこの名がついた。
Silver925 (SV925): スターリングシルバー(品位記号 Sterling)。イギリスの銀貨の品位であり、宝飾品用としても最も一般的な品位である。硬度や耐久性に優れた配合である。
Silver958 (SV958): ブリタニアシルバー(品位記号 Britannia)。その名の通り、一時イギリスがスターリングシルバーから銀貨の品位を高めてこの割合にしたためこの名がついているが、この割合では軟らかすぎるためにもとのスターリングシルバーに戻されたいきさつがある。
Silver1000 (SV1000): 純銀、ピュアシルバー
シルバーの記号
記号の SV は一般的に用いられているが、国際的には認知されていないので、社団法人日本ジュエリー協会は、元素記号である Ag の使用を推奨している。
SV900 ⇒(推奨)Ag900
SV925 ⇒(推奨)Ag925