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用語集
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ディオール

買取専門店大吉大分駅

大吉大分駅

クリスチャン・ディオール(フランス語: Christian Dior SE)は、フランスのファッションデザイナー、クリスチャン・ディオールが創立したファッションブランドを展開する企業である。創業以来、フランスを代表するクチュール メゾンとしてトップに君臨する。

本社所在地はパリ8区モンテーニュ大通り30番地。フランスを本拠地とする複合企業のLVMHに属するが、単独で株式上場を行っている。

オートクチュール(高級注文服)、服飾、バッグ、革製品、宝飾品・時計、コスメ・香水と、その展開分野は幅広い。オートクチュールラインは「ディオール オートクチュール」(Dior Haute Couture)、ウィメンズラインは「ディオール」(Dior) 、メンズラインは「ディオール メン」(Dior Men)、ベビーラインは「ベビー ディオール」(Baby Dior)と称される。またホームコレクション「ディオール メゾン」(Dior MAISON)も取り扱う。

ほぼすべての商品が自社およびその系列会社によって製造・販売されているが、サングラス・メガネフレームについてはイタリアのサフィロ社によるOEM供給品が展開されている。

レディ・ディオール - 1995年9月に発表された「レディ・ディオール」は、故ダイアナ妃がパリのグランパレでLVMHグループの後援により開催されたセザンヌ展を訪問した際にシラク前大統領夫人から贈られた。ダイアナ妃はこのディオールの最新作をすぐに気に入り、同シリーズのバッグを様々なヴァージョンで注文した。1995年11月、ダイアナ妃はバーミンガムの養護施設を訪問、このバッグを手に子どもを抱いた写真が海外のマスメディアに掲載された。 数週間後、アルゼンチンへの公式訪問の際にもダイアナ妃はこのお気に入りのバッグを手に、公用機から降り立った。 レディ・ディオールはそれ以後、この世界でもっともメディアに注目される女性 - ダイアナ妃の愛用するバッグとして知られ、世界の女性達の注目の的となった。もともと別名が名づけられていたこのバッグは1996年、ダイアナ妃への敬意を込めて、妃の承認の元に「レディ・ディオール」と改名された。クチュール精神に基づいて制作された「レディ・ディオール」のバッグは、パッドの入ったステッチレザーにディオール メゾンのコードが表されている。ステッチパターン「カナージュ(格子柄)」は、クリスチャン・ディオールが1947年、自身の初コレクションにエレガントな顧客達を迎えるために使用したナポレオン三世の椅子の模様からヒントを得たもの。

日本では、1964年5月にカネボウが製造販売の独占契約を結び生産を開始する。1981年には、鐘紡、カネボウ化粧品、カネボウ・ディオール、カネボウ・ディオール・ムッシュを合併。しかし、1989年にディオールを親会社としたLVMH社がライセンスを絞る方針を進め、1997年2月7日にカネボウはディオールから契約を同年4月30日に解消すると告げられ、同年秋冬をもってライセンス生産は終了した。また、ランジェリー部門のカネボウ・シルク・エレガンスもディオールと98年初頭に契約を解消した。1964年から約30年間に渡って日本で販売されたディオール製品は一部の輸入製品を除き、ほとんどがカネボウのライセンスによる日本製であり、紳士・婦人服だけでなく、ストッキングやソックス、ベビー服、本国にはないゴルフウェアまで多岐にわたっていた。ライセンス解消以降は、輸入した製品を販売するようになる。

現在は東京(表参道、座)、大阪(心斎橋)、神戸(旧居留地)にブティックショップを展開するほか、全国各地のデパートに舗を展開している。

コスメ・香水フロアにおいてもディオールのコーナーを目にすることができ、シャネル、パルファム・ジバンシィなどと並ぶ海外コスメブランドの代表といえる。

ライセンス解消以降日本では、「ディオール・オム」を含む大多数の商品をクリスチャン・ディオール株式会社で扱うが、コスメ・香水をパルファン・クリスチャン・ディオール・ジャポン(Parfum Christian Dior japon)が取り扱う。また、自社取り扱い商品の中でも、高級ジュエリー商品はディオール ファインジュエリー(Dior Fine Jewelry)としてラインが分けられている。また、もともとLVMH系でないサフィロ社製造のメガネフレーム・サングラス製品は、その他のサフィロ社製品と同様にサフィロジャパンが取り扱っている。